1. アトラスの歴史
時代は 『宇宙戦艦ヤマト』 によるアニメブーム真っ最中の 1977年(昭和52年)、
兵庫県尼崎市の市立尼崎高等学校が舞台となります。
当時高校2年生の北奥秀樹氏と杉原貴和氏は、クラスメートでもありました。
北奥氏は前年にSFマガジンに連載中の漫画 『グランドマーク』(スタジオぬえ作品)を見て以来メカデザインに興味を持ち始め、
杉原氏はというと・・・地学部の部長でした。(^^
その地学部の先輩が漫画同好会に所属しており、秋の市高祭(文化祭)の時に地学部の部室の前の通路を使って、アニメ上映会やイラストの展示即売会を催しました。
結果としてそこへアニメに興味を持っている者がほぼ一堂に集まり、後のアトラスの主メンバーとはここで出会うことになります。
市高祭後、山本京嬢が主催するアニメサークル 「コスモス」 の存在を知り、その主メンバーはサークルへ入会するのですが、
創作活動を行いたかったメンバーはヤマトのファンサークルだったコスモスとは相容れられず、すぐに脱会してしまいます。
その後 1978年4月に兵庫県西ノ宮市で開催されたイベント 「コミックバザール」 に触発され、
ついに 1978年7月、那須野大介氏を編集長、永松勝己氏を会長とするサークル 「アトラス」 が誕生します。
最初の発刊物 『ATLAS』 はイラスト特集号ということで Vol.0 となり、またメンバーは皆ストーリー漫画を描いたことが無い漫画未経験者の集まりだったため、
アトラスは "漫画研究団体" という肩書きが付けられることになります。
この時のアトラスの主メンバーは皆高校3年生という、一般的には大学受験で忙しい時期なのですがね(笑)
ちなみにアトラスという名前はギリシャ神話に登場する巨神が由来で、 「大きくなろう!天空をも背負える力を持とう!」 という気持ちが込められているそうです。
アトラスは世界の西の端を背負っているので、関西を背負うという意味も含まれているのかな?
・・・でも最終的にはペルセウスからメドゥサ(ゴルゴオ)の盾によって石に変えられてしまうのですが・・・今の活動休止中の事が予言されていたとか(笑)
(アトラスはまだ解散していませんよー)
- そして最盛期へ -
アトラスの主メンバーが無事高校を卒業し、舞台は 1979年(昭和54年)の大阪芸術大学へと移ります。
この年、サークル 「コスモス」 の山本京嬢が "あきら" のペンネームでアトラスに参加するようになりますが、
その山本京嬢と同じ 関西女子美術短期大学 に通っていた秋本ルネ嬢も、引力に惹かれるがごとく参加することになります。
そう、この秋本ルネ嬢が士郎正宗氏の姉ということです。
結果として山本京嬢が秋本ルネ嬢を巻き込んだように、秋本ルネ嬢も士郎氏を巻き込んでいきました。
この時、杉原貴和氏は大阪芸大2年生、士郎氏は同じ大阪芸大の1年生です。
士郎氏がアトラスに参加したのは 1980年11月の 『ATLAS Vol.7』 からですが、実質この年以降からがアトラスの最盛期と言えるでしょう。
さらに翌年、鋼鉄はがね氏の参加によりその勢い(変態度?)は加速を増していきます。
士郎氏の作品 『黄金炎柱祭』 はその完成度から多くの読者を魅了し、
アトラス主メンバーの連載作品(あづみ悠氏の 『レッド・シリウス』、チビッコギャング氏の 『グリーン・リベンジ』、杉原まさし氏の 『スターナート・ユウ』)が終了後はアンケートでの人気が士郎氏に集中する結果となり、
次第に 「アトラス」=「士郎正宗」 という図式が出来上がってきます。
1982年後半に入ると、士郎氏の個人誌 『ブラックマジック』 のためにアトラスの主要メンバーがほぼ全員アシスタントに駆り出されたり、
その主要メンバーが大学を卒業し社会人になった関係で、アトラスの発刊物がストップしてしまいます。
一応 『ATLAS 12』 が難産の末 1984年3月に発刊されますが、以後続刊の発表は無かったようです。
そんな状態を危惧してか、「作者に3日間しか執筆猶予を与えずスピーディかつアグレッシブな同人誌」 をコンセプト(?)として、
1984年3月に "アトラス緊急増刊号" の 『バトルコミック ぱて』 が発刊されました。
この 『ぱて』 は途中にイラスト集 『どろしぃ』 を挟みながら 1987年 『ぱて 6』 まで意欲的に発刊されますが、
その後は 1990年の合同誌 『アトパス』 を除いて創作活動は休止となりました。
- もうひとつのアトラス 「札幌支部」 -
1979年某書店の企画で、大阪の同人誌を北海道に紹介するイベントが催されました。
その年にアトラスに入会した北海道の2名の女性会員がきっかけとなり、1981年にアトラス札幌支部が開設されます。
当初の札幌支部の会員数は12名でしたが、内女性会員が10名と、本部とは多少毛色の違う(?)支部だったそうです。
その後札幌支部でも同人誌を作成したいということになり、1984年11月に 『EZO ATLAS 1』 が発刊されます。
これはSF色の濃い本部の 『ATLAS』 とは違った、どちらかといえば少女漫画寄りの同人誌です。
本部の主要メンバーもいくつかイラストを寄稿していますが・・・
そんな札幌支部も 1987年11月15日に 『EZO ATLAS 6周年解散号』 の発刊を最後に解散してしまいます。
解散の原因は定かではないですが・・・当時主流であった "アニパロ" ではなく、オリジナル創作のサークルとして存続が困難だったのではないでしょうか?
●補足:
『グランドマーク』 は早川書房刊行の雑誌 「SFマガジン」
の 1976年 8月号から 1977年 5月号まで連載されていた漫画です。
パッと見は士郎氏の 『蜂の惑星』 にソックリ!(いやこっちが先でしょう(笑))で、絵と文章とメカニック分析図で構成されています。
アトラスや士郎氏へ多くの影響を与えた作品と思われます。
この作品は 「SFイラストの世界 スタジオぬえのすべて (ファンタスティックコレクション No.8)」 (朝日ソノラマ/1978年) に第1話(1976/8~12)が再録されています。
まだ古本屋等で見かけますので、ご覧になりたい方はぜひ!
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